北京の伝統料理研究⑤
北京烤填鴨(北京ダック)


料理ストーリー

北京料理の代表格である「北京ダック」の発祥地は、北京ではなく南京でした。 南京地方では池や湖に生息していたアヒル“南京鴨”を使った料理が盛んに行われており、 その中の南京鴨を炙った料理「烤鴨(カオヤー)」が北京ダック(北京烤填鴨)の原型となっています。 北京ダックが北京宮廷料理となったのは、明朝の3代目皇帝である永楽帝が蒙古対策の為にと、都を南京から北京へと代える遷都を実施した1421年頃からです。 北京への遷都と共に、南京の鴨料理「烤鴨(カオヤー)」も北京に伝わり、宮廷料理の一品となりました。

当時の揚州には、塩の取引で大富豪となった「塩商」と呼ばれる人達が多く生活していました。 この時期に、国主である乾隆帝は、度々揚州に下り、塩商から絶大なもてなしを受けていました。 一切の献上品や料理には、一品ごとに誰それが謹んで奉献するという名札が付き、料理を作った人の名も添えられていました。 皇帝のお声が掛かれば、北京に参上し宮中の厨房に入ってお役を勤めていました。皇帝に随行した高官たちも、揚州の生活に憧れ、料理人を招聘したり、家庭生活の指導を受けたりしました。 このような中で、揚州料理は山東料理と同様に北京宮廷料理に大きな影響を与えており、伊さんによって揚州に渡った「伊府麺」もまた、皇帝の揚州訪問を期に北京宮廷料理の一品になったと考えられます。

当初北京ダックは宮廷のみで食されていましたが、1500年代半ばに民間初の北京ダック専門店として金陵老便宜坊が開店し、民間にも広がっていきました。 又、清朝の時代になると、偉大な権力を誇った乾隆帝や西太后が好んで食したことから、北京ダックの名声は更に高まり、1800年代中ごろには北京の町中にいくつもの北京ダック専門店が開業しています。

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永楽帝
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西太后

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